精神科医が見つけた3つの幸福を読んで
青空を見て、こんなに青い空が見られて幸せだなと感じます。雲一つない空も好きですし、白い雲がある空も好きです。すごい速さで流れていく雲をただみている事もあります。それだけで幸せを感じます。生きててよかったと思える。人によって幸せの感じ方や価値観は違います。ただ私は、どんなこともあたりまえの事はなく、幸せだと感じられる心がある事が大切なのではないかと思います。どんなに楽しい事があってもそれに気が付かずに楽しい事を探している人がいます。誰かに楽しい事ない?って聞いてくる人もいます。楽しいかどうかは自分にしかわからないのに。たくさんの幸せがあるのに気が付かずに生きていくのは少し悲しい。幸せとはなにか考えてみようとこの一冊を読みました。
なんとなく家族が生きていて、友達もいて私は幸せだなと思います。仕事や色々あると心が病む日もあり、この世に存在する価値なんて自分にはないって思う日だってあります。でも結局のところ、幸せだという結果になります。
この本は幸福論ではなく、精神医学・脳科学に基づいた実用のための幸福について論じられています。
3つの幸福物質
本の最初の方に「幸福とは何か」
ドーパミン・セロトニン・オキシトシンが十分に分泌されている状態で、私たちは「幸福」を感じる。つまり、脳内で幸福物質が出た状態が幸せであり、幸福物質を出す条件というのが「幸せになる方法」であると書かれています。
セロトニン的幸福とは、健康の幸福 心と体の健康
オキシトシン的幸福とは、つながりと愛の幸福 友情 人間関係 コミュニティへの所属など
ドーパミン的幸福とは、お金・成功・達成・富・名誉・地位
幸福には優先順位がある この優先順位を間違うと不幸になる
健康・つながり・お金、成功。その全てが手に入ればいいけれど、この3つの幸福を手に入れている人は少ないそうです。何故なら、ほとんどの人が優先順位を間違えているから、幸せになれないのです。
セロトニン的幸福→オキシトシン的幸福→ドーパミン的幸福の順番。
メンタル疾患の患者さんは、真面目で勤勉。少しの風邪では休まず働き、残業にも不満を言わずに、とにかく必死で頑張る。うつ症状が出ているのに、それでも頑張るのです。自分の健康を害してまで頑張ってしまうのです。セロトニン的幸福をないがしろにして、ドーパミン的幸福を目指すと、メンタル疾患や身体疾患に陥る。幸福になるどころか不幸になってしまうと樺沢先生は気付いたそうです。頑張るには「健康」という基盤が絶対に必要だと。
「成功」を「つながり」より重視する。毎日、残業続きで家族との時間もとれない。妻子に対するケアがほとんどないとしたら、妻から離婚されたり、子供が不登校やひきこもりになったりすることもある。家族のつながりを軽視して、仕事を頑張り過ぎるとろくなことにならい。仕事で成功したとしても家庭は崩壊し、幸せとはいえないのです。
「つながり」と「成功」では、「つながり」が先で「成功」は後。つながりや人間関係を無視して、成功を目指して努力しても、その先には「幸せ」は待っていない。オキシトシン的幸福が先で、ドーパミン的幸福は後なんです。
健康こそ全ての基盤
「つながり」と「健康」ではどうなのか語られています。あなたは仕事も順調で、「家族と一緒に最高に幸せな生活」をしていたとしても、ある日突然、「がん」を宣告されたら?それでも最高に幸せと言えるでしょうか?とうい問い。自分の健康があってこその「つながり」なんです。子供に病気が見つかったとしたら?毎日そのことで頭がいっぱいになりますし、幸せな毎日が「不安」と「心配」に包まれた毎日に一変する。「健康が大切」という場合、自分の健康も大事ですが、「家族の健康」もなければ幸せにはなれないのです。
メンタル疾患になると、友達と会って話すというあたりまえのコミュニケーションすら困難になります。セロトニン的幸福を失うと、連鎖的にオキシトシン的幸福も失います。夫婦・パートナー・友人・仲間とのつながり、全て、あなたの「健康」があってこそ成功するのだと。「健康」が先で「つながり」が後。セロトニン的幸福が先で、オキシトシン的幸福が後なのです。
失う前に気づいてほしい 「当たり前」だから「気づかない幸福」
私がこの本を読んで一番心に残ったことと、体験に基づいて頷けたことがこれなんです。自分に明日が来ることは当たり前ではないのです。生きていることが奇跡であり、明日が来ることも奇跡なんです。数分後に死ぬ可能性だってある。ちょっとした自分の体調不良のことで不安になり、この世で一番不幸なんじゃないかと思った日もあります。父が難病になり、父の病状や介護の状況などで、頭や心が一杯になり何も楽しめない時もありました。自分の健康も大事ですが、家族が病気になると家族全体も病むのです。何気ない1日が大切で、今日は生きていてこんなに素晴らしい青空が幸せな気持ちで観れる。なんて幸せなんだって思います。
自分の足で歩いて、行きたい所に行ける
大切な人の手を握れる、温もりを感じることができる手があること
大切な人の顔を見たり、素敵な景色を観れる目があること
美味しくご飯を食べられる機能があること
素敵な音や音楽 大切な人の声を聴くことができる耳があること
自分には家族がいて 友人がいて 信頼してくれる誰かがいること
ここには書き尽くせないほどの 当たり前じゃない幸せが、私にはあります。
樺沢先生も、健康というものが、「かけがえのない幸福」であったことは、健康を失って初めて知るのです。失って初めて知るのが「健康の幸福」でありセロトニン的幸福なのだと言われています。その通りだと私も思いました。
日本の健康保険制度は手厚く、自己負担が非常に少ないので「病気になれば病院に行けばいい」という考えが、多くの日本人の悪しき知識となっていたとお話されています。確かにその通りかもしれません。病院に行かない努力をする人、つまり予防について真剣に考える人は、諸外国に比べ少ないでしょうと。コロナ禍で、当たり前があ当たり前ではなくなり、健康とは大切であり、健康はかけがえのないものという事実に気づいた、気づけたのではないかと。
コロナ禍になって、今まで当たり前にしていた事ができなくなりました。例えば、旅行。学生さんたちの行事。仕事でしょうか、私はライフに直結している仕事に従事している為、仕事がなくなることはありませんでした。むしろ大変になっいました。それでも仕事があって健康に働きに行ける事は幸せなんだと思いました。普通に受診や入院できていた病院も、入院できなくなったりしていましたよね。病院はあっても人手不足や医療機器が足りない、マスクも防護服もない状況の時もありました。病院に普通に受診できない日が来たのだと思いました。医療もあたり前ではないのです。そこに働く人、医師や看護師、コメディカルの人たちが居なければ病気を診てもらえないのです。色々見直すきっかけになったのではないかと思っています。
心身の健康が大切
この本には3つの幸福に対する説明と セロトニン的幸福・オキシトシン的幸福・ドーパミン的幸福それぞれについてどう行動したらいいか書かれています。今回はセロトニン的幸福についてお話しましたが、次回また他の幸福にも触れていければと思います。
とにもかくにも心身の健康です。生活習慣を調えていても病気になることもあります。難病は避けれません。突然、発症するのです。でも多くの疾患は生活習慣を調えれば防ぐことができます。心は自分を大切にすることだと思います。心が壊れてしまったら取り戻せません。社会生活を送ることもできなくなったりします。無理をしないで、早めに休ませてあげてほしいと私は思います。幸せの価値観は人それぞれですが、幸せについて考えてみるのもいいと思います。みなさまの健康と幸せを祈ります。